芋づる式の不幸と雪だるま式の不運の果てに
私事で恐縮ですが、きっかけは娘の卒業式でした。
帰宅後、靴の踵の底部分が取れていることに気づきました。
やたらと砂利が多い学校だったなとか、靴を買い替えないといけないなとか、阿佐ヶ谷姉妹にそっくりな先生がいたなとか、その時はその程度でした。
数日後、片方の膝の違和感に気づきました。
歩くたびにサクッサクッと、まるでナタデココが挟まっているかのような不快な感覚に、時折極太の針でチクッと刺されるような痛みも加わり、みるみる腫れだして慌てて病院へ。
中年世代によくある疾患と聞いてホッと胸を撫でおろしたものの、今後一切膝に負担がかかるような生活はNGと言われてしまいました。
当時は生花関係の仕事をしておりました。
基本立ち仕事な上に、苗ポットが40個ほど納まったトレイや重い鉢植えなどを抱えてビールケースをひっくり返した台を上り下りすることもありました。
加えて当時娘はフィギュアスケートのちびっこ選手でしたので、ほぼ毎日仕事が終わった足でスケートリンクにも通っておりました。
一般営業終了後の夜間にクラブの貸し切り練習があり、その間親はリンクサイドに立って曲をかけたりしなければなりません。
分厚いダウンコートの下に毛布をぐるぐる巻きにしても手足が痺れてくるようなリンクサイドでは、子供たちではなく親同士が表彰台を争っているような世界に数年間身を置いておりました。
そうこうしている内に母が病に倒れました。
妹がフルタイムで働きながら一人で母の看病をしていたので、新幹線で600km区間を往復する日々が追加になりました。
人生のバイオリズムが低下してる時は、どういう訳か芋づる式に不幸が訪れ、雪だるま式に不運が重なります。
母が亡くなって、仕事ができなくなり、スケートのクラブ内ではモンスターペアレント同士の合戦の火蓋が切って落とされ、諫めようにも膝の故障のせいでそのスケートリンクにすら行けなくなってしまいました。
母に会えるのも、花に囲まれた仕事も、娘が頑張る姿を見るのも楽しみでした。
しばらくはしょぼくれて引きこもっておりました。
気力と共に筋力も落ちたのでしょう。
とどめにはギックリ腰に。
ベッドの上のハンガーに手をのばしただけなのに…。
このままではいけないと思い直し、リハビリを兼ねたウォーキングをしようと決めました。
とはいえ、走ったり勾配のある道はNGとも言われたので、常に平坦な道をマイペースで歩けるトレッドミルを購入しました。
人生もこうだったらいいのにと思いながらせっせと歩いております。
と思ったら、
3年経った今気が付きました。
人生がどこまでも甘くないということにも。