一炊の夢
コロナウイルスとの共存生活も半年が過ぎました。
緊急事態宣言発令中はスーパーとロージーの散歩コースのあいだを足早に歩くくらいでした。
物々しい事態も解除になり、気温も程よい今ちょこちょこ遠出をしています。
万が一のことを考慮して、車中はクレートイン。
最初は収めるのに苦労したものでした。
自ら入るなんてことは絶対になく、おやつで誘導したところで必死の形相で出てこようとするので。
それが今では
入ると楽しいことが起こる。
でもたまに、病院の場合もあるから油断はできない。
と、学習したのでしょうか。
クレートと言うと自分からスポッっと入るようになりました。
ただ、この入れ物自体をクレートだと理解しているのかは謎です。
クレート=車でおでかけのことだと思ってる説も否めません。
逸る心を抑えられないのか、振動や行先が不安なのか、やっぱりクレートが嫌なのか、車中はずっとクンクン文句を言いっぱなしですが、ひとたび車を降りれば尻尾はピンピンパタパタ瞳はキラキラ、別人ならぬ別犬のよう。
ペットショップで、可愛いけどこれはないかな~なんて言ってたはずなのに気が付けば家にあったフッリフリの服を着て約一年半ぶりの海です。
ロージーは海を目の前にするのは犬生2度目です。
仔犬の頃に1度つれてきたことがあります。
私たちが行く先々をチョコチョコついて歩いておりましたが、始終尻尾が下がりぱなしで、まったく楽しそうではありませんでした。
当時はお散歩もそんな感じでしたので、これは楽しいとか、これは苦手とか、そういった自我のようなものがまだふわふわしてる状態だったのかもしれません。
仔犬は仔犬でたどたどしくてあどけない仕草がただただ愛らしいものですが、その時々の表情や反応で喜怒哀楽が明確にみてとれる今はまた違った可愛さです。
何処へ行っても何を見ても視界に子供たちがチョロチョロしていた頃は、たまには一人でゆっくりしたいと苛立つこともありました。
子供たちが大きくなり、仕事を辞めてからは外に出かけることもめっきり減り、インドアな生活を送りがちだったので、日差しが眩しいことも、夕凪が心地よいことも、星空が綺麗なこともすっかり忘れていました。
ロージーが我が家にやってくるまでは。
ぼんやり海を眺めていると、足元でパタパタ尻尾を振りながらこちらを見上げる曇りなき眼。
その瞳の奥に宿るのは、陽だまりのなかで途方に暮れていた頃の私には気づけなかったことかもしれません。
酸いも甘いもすべてが一炊の夢。
砂浜に点々と続く、いつの間にか大きく育った足跡と、小さな足跡。
帰宅後ロージーはお風呂へ直行。
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