3月11日によせて
今から10年前の今日は娘のスケートの大会本番間近でした。
娘を練習に送りだすからと、故郷の友人との通話を切ったその数分後の出来事でした。
TVのニュース速報のテロップを見て慌てて電話をかけ直すと、家の中はめちゃくちゃだけど大丈夫と、努めて明るく振る舞う友人の声は震え、TV画面に映しだされたのは、真っ黒な濁流に呑まれ、炎に覆われ、瓦礫と化した懐かしい風景でした。
父の仕事の都合で関東方面に居を構えていた実家は被災を免れましたが、原発から数十キロ圏内に住む弟から、世間に流れている情報よりも深刻な状態なのだという事実を聞き、原発の如何によっては弟一家と友人一家を我が家で迎えるべく、二十数年ぶりに就活に励むことにもなりました。
ブログを始めた(以前の日々雑感ブログです)のは丁度その頃でした。
当時娘はフィギュアスケートのチビッコ選手で、学校以外ほぼすべての時間を練習に費やす毎日を送っておりました。
未曽有の事態に騒然とする中でも、クラブの貸し切り練習やバッジテストや大会は通常通り行われていて、今このようなことしていていいのだろうかという罪悪感と、たった一日練習を休んだだけで昨日までできていたものがまったくできなくなってしまうようなギリギリの世界で、幼い娘が長年積み重ねてきたものを壊したくはないというジレンマが鬩ぎ合うなかで職場とリンクを往復していたものでした。
大会で入賞しても祝ってやることもできず、複雑な胸の内を娘に悟られないようにするのが精一杯でした。
これまでの生活が一変し、ピンと張りつめたような日々を重ね、どこかで本音を吐き出したかったのかもしれません。
往時のブログを見れば、
(就職情報サイトの応募ボタンを)勇気がなくてポチッと押せない。
などと、殊勝なことをのたまっておりました。
タイムマシンで戻れるなら、ポチッと背を押してやりたいところです。
毎年世界のあちこちで自然災害が牙をむき、脅威はいつわが身の上に襲い掛かってくるかわかりません。
10年経った今もなお大きな余震に苛まれ、大災害の深い爪痕に苦しむ遠い故郷に思いを馳せつつ、可能な限りの備えと心構えをしておかねばならないと覚悟を新たにする今日です。