然に非ず
と言われたことがあるくらい、ヒノキアレルギー持ちの私は、ヒノキのヒノキ舞台といったこの時期は常にバッグのなかにはマスクの予備があります。
そのバッグをうっかり床に置こうものなら
マスクは不織布であって紙ではないと思うのですが、一見紙っぽい質感からなのか物凄い執着心を見せるロージーです。
紙ではない故にうっかり飲み込んで吐き出すことができなかった場合、腸管などに詰まったりしたら、それこそ緊急事態宣言発令中のさなか緊急事態で外出することになってしまいます。
しかもマスクを食べたなどという理由で。
今は家族全員のバッグにマスクがしのばせてある上に、ロージーは人知を超越した嗅覚でそれをみつけだそうとするので、要はロージーの鼻先が届く高さにマスク入りのバッグを置かないことを習慣づければいいだけの話なのですが、これがなかなかできないのです。
それで結果的にロージーを追い回したり叱ったりするハメになり、最後には私の中のマスクの紐ならぬ堪忍袋の緒がキレることにもなるわけで。
もちろんわんこにではなく、それ以外の人間たちに。
授業中にまんべんなく生徒全員を指しては答えを言わせようとする先生の授業とか、登山のあとの下山とか、どうしても避けることができない憂事ならいざしらず、わざわざ顔を突き合わせてまで対峙せずともよいイライラがあることを私は子供たちから学びました。
育児は育自とはよくいったもので、日々己の欲望との戦いでした。
7割くらいは負け戦だったような気もします。
赤ちゃんがおすわりやハイハイをしだした頃はそれはそれは愛らしいものですが、まだ言葉を理解しない上に何でも興味津々で口に入れたがり愛らしいルンバと化すので、子供目線には一切なにも物を置かない生活をしておりました。
最初から何も置かなければいたずらもできない=イライラも減るという事で、ルンバならぬル・マンの如しの24時間耐久授乳とオムツ替えとグズグズからのギャン泣きだけでも疲労困憊な毎日なのですから、イライラに育ってしまいそうな芽は摘んでしまえば花開くこともないわけです。
2歳くらいになれば言葉もわかるようになりますし、神通力が通じるようになるので、水族館に行った知人からお土産にともらったハリセンボンのつるし飾りのチカラを借りて我が子に世の中の真と理を説きました。
3歳を過ぎるとハリセンボンが自らの意思で動かないことを悟りました。
小学生に上がる頃にはハリセンボンを元に戻しておくという術を覚えました。
その母親である私も、母が漬けたイチゴ酒をこっそり盗み飲みしていたものでした。
しかも、発酵前の絶妙に美味しいイチゴジュースが出来上がった頃を見計らって。
半分近く減ってしまったイチゴ酒に気づいたときは真っ赤に色づいた唇まで青くなりました。
水を足して誤魔化そうとも企みましたがやめました。
病床に臥す母にカミングアウトすると、
あらそうだったの?オホホホ!
やはり水でかさまし作戦は決行しなくて正解でした。
墓穴を掘るところでした。
祖母の家に遊びに行った際、まだ独身だった叔父の部屋に忍び込んでは叔父が手塩にかけて作ったであろうブーメランを片っ端から飛ばして遊んだこともあります。
ブーメランは隣家の屋根の上にすべて落ち、ひとつたりとも戻ってくることはありませんでした。
きっと戻ってくるだろうと西城秀樹さんは歌っているけれど、戻ってこないブーメランもあるんだと、子供ながらに悟ったものでした。
母の三回忌の時に叔父にカミングアウトしましたが、
そうだったのか~ハハハ!
さすが姉弟、リアクションがまったく一緒です。
西城秀樹さんのブルースカイブルーは今聞いても良い曲だと思います。
でも当時の私はピンクレディーの方が好きでした。
そして、先日夫が買ってきたマスクはレディース用のピンク色。
マスクが貴重品となる日がくるとは思ってもみませんでした。
夫がピンクのマスクをつけて仕事に行くことになるまえに、楽天で買った夫用のマスクが届きますように。