夢にみるほどに

 ロージーが我が家にやってきて3度目の冬、3度目のクリスマスです。

 







 

 

 

 

 

 

クリスチャンではない我が家は、子供たちの成長と共に年々簡素化しているイベントですが、せめて美味しい物でもと豪華絢爛なレシピを眺めてはみるものの、眺めてみただけで満足してしまい、結局出来合いの物で済ませてしまうというオチに至ります。

 







 

 

 

 

 

 

夫は365日お酒を嗜みますが、車通勤故によくTVドラマでありがちな、真夏でもおでんが美味しそうな居酒屋だとか、カウンターで恥ずかしげもなく愚痴ったり泣いたりできるバーとか、ネガティブ気分のときに決まって現れるおでんの屋台とかで飲んで帰るということがないので、これまたよくTVドラマなどでお馴染みの、


今日は夕飯いらないから。


この台詞を聞くことも滅多にありません。


寿司折やケーキの箱片手にただいまーとかいうシチュエーションもほぼ皆無です。


それがたとえ年に一度の特別な日であろうとも。


コンビニやスーパーに立ち寄る事があったとしても、己の酒と肴のみ買ってきます。


江國香織さんの『ごはん』、会津の赤べこのごとく深々と頷いてしまいます。







 

 

 

 

 

 

そんな夫でも、私が仕事で疲れていたり、体調不良だったりでごはんを作りたくないとゴネてもあからさまに機嫌を損ねたりはしませんし、仕事帰りに買い物を頼んでも快く応じてくれますし、美味しいチキンライスやチャーハンやミートスパも作ってくれます。

なので、不満の芽が育まれ花開くことなく淘汰されてきたのだと思います。


この分野に於いては。

己が主賓のイベントであろうとも自ら陣頭指揮を執らねばならないというモヤっと要素は、長女の悲しい性なのだと納得するようにしております。


夫は三男坊であるから仕方がないことなのだと。

 







 

 

 

 

 

 

それでも



今日は夕飯いらないから。



に憧れます。


週末やクリスマスくらいは、任務を放棄したという罪悪感に駆られることなく、正々堂々と他所のごはんを食べてみたいと思ってしまうのです。


……と、料理不精なのをさんざん夫のせいにしたところで、せめてケーキだけでも焼こうとレシピサイトを見ておりますが、見てるだけで終わらないようにしなければと思います。

 







 

 

 

 

 

 

この季節になるとあちらこちらで見かける葉牡丹。

フリル状の葉が幾重にも重なり、その名の如く華やかな様相ですが、数年前はこれが夢にまで登場しました。

 







 

 

 

 

 

 

という訳ではではなく、ただ毎日うんざりするほど見てたので。







 

 

 

 

 

 

クリスマス仕様のものはラメがちりばめてあったりします。

一本一本手間暇かけて思いをこめてと言いたいところですが、実のところはまるで塩かコショウでもふりかけるようにザバザバ塗すので情緒の欠片もありません。

葉牡丹とラメ、ミスマッチなようで意外と合うのです。

同僚とふたり仕事帰りの電車の床に煌びやかなラメの緒を引きながら、



​叶姉妹?​​​



などと弱弱しく笑い合ったものでした。


あの日から幾年月、一体何処に潜んでいるのやら、このラメ未だにクローゼットの奥からでてきます。

葉牡丹は花き業界のクリスマス・年末商戦の忙しさの象徴なのです。

葉牡丹を目の当たりにするたびに、家と職場とスケートリンクの魔の三角地帯を髪振り乱しながら行ったり来たりしていたあの頃の、心の中に吹きすさんでいたり渦巻いたりしていたものがざわざわと蘇り、胸に沁みるのです。​​

そして、そういったものからやっと解放された今しみじみと葉牡丹を見やれば、



葉ボタンなんか見たくもない。









 

 

 

 

 

 

娘が呟く今年の冬です。

 









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